出湯温泉 五頭温泉郷新潟県 
露天風呂付客室と貸切家族風呂の宿 旅館弓月

               ★出湯温泉妙景  

目次   ★出湯温泉歴史年表   ★散歩道その1    
★散歩道その2(句碑探索)

     ★五頭山登山  ★PEOPLE ★ゆきふるさと
  ★外湯めぐり
   

         

  五頭温泉郷・出湯温泉は新潟市より
  車で東へ50分弱の五頭連峰県立公園の
  一画にある素朴な山里の小さな村です。

  その歴史は古く、伝説では
大同4年(809年)
 弘法大師空海上人が来村した折、
 杖を地に突いて湧出せしめたことが
出湯温泉のはじまりと言伝えられて
来ました。

     

 伝説はともかく、最新の老古学研究から、
 
鎌倉時代には
 寺湯を中心にした全国でも有数の壮大さを
 誇る寺社があり弘法大師来村以前に
 おそらく温泉も湧出していたのではないか
 という説が有力です

     

  いずれにせよ、
  新潟県最古の温泉として知られ
  毎日、近郊の人々が
  多勢,2つある共同浴場を訪れています。

 最近はアトピー性皮膚炎に効果がある
 温泉と知られ 治療に訪れて効能のよさに
 そのまま定住されえた方もたくさん
 居られます。

   

明治時代発行の吉田東伍著「大日本地名辞書」では,本州随一の温泉と紹介された出湯温泉ですが  その後の大規模観光開発もなく、当時のまま  静かな山間に沸く温泉としてのんびりと時を刻んでいます。

出湯温泉は遥か古代より安産・子育て祈願の温泉として多くの妊婦さん 母親たちに
信仰を集めてきました。
優婆様信仰とよばれ
天平5年(733年) 行基菩薩が出湯に逗留されたおり、村人達の要請で霊木で優婆尊をつくり奉納したのが始まりといわれます。
以来 優婆尊をお参りして腹帯を頂き 
出湯の湯に浸かり安産を祈願する
多くの妊婦さんをお迎えしてきました。
そして無事 出産を終えた折は 腹帯をお返しにお礼参りに訪れ 
産後の身体を出湯の湯でゆっくりと静養するのが慣わしでした。

優婆尊は子育て祈願の信仰でもあります。生まれた赤ちゃんの無病息災と幸せを
祈願し 出湯の温泉に入れることで丈夫に
育つといわれてきました。

     

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「出湯温泉は,日本の温泉地の
原型が残る最後の温泉だ!」


と松田先生は語った。 

 

松田忠徳 教授 (まつだ・ただのり)

洞爺湖温泉に生まれる。
現在、旅行作家、翻訳家、札幌国際大学教授、観光学部(温泉文化論)。1998年1月から1999年9月まで、キャンピングカーで日本列島を2度縦断して、2500湯を制覇。
これまでに浸かった温泉は4,350湯あまり。

松田忠徳WEBサイト
http://www.matsudanet.com

日本人のお風呂好きは仏教の教えから来ている。仏教が伝来した時,経典の中に温浴経という教えがあった。寺の重要な布教活動のひとつに 人々をお風呂に入れてあげることがあった。風呂に入り体を清める事は7つの悪が消えて、7つの善徳が得られると伝えられてきた。
現代人もお風呂に入ると
「あ〜っ,極楽、極楽!」と思わず言ってしまうが
これは日本人のDNAにこの経典が深く
記憶されているからだ。        

かつて寺では大きな釜湯などの施設があり現在もあの法隆寺「湯殿」等にその形を見ることができる。

各地に仏教が広まり始めると
当然のごとく温泉が沸いている場所に
寺が作られた。日本全国に点在する歴史のある温泉地は皆、最初,寺湯として始まったのである。

やがて寺には治療滞在する人々が増え始め
(今で言う湯治)
江戸時代前期くらいのは各地の由緒ある
温泉地には
寺湯を囲むように宿坊ができた。
(今で言う旅館)
これが今の温泉街の形成であり、原型である。

世の中が落ちつくと、温泉は宗教的な意味が
薄れ、旅行,娯楽の目的地となっていく。
寺湯の近くに新しい温泉井戸が掘られ
かつての宿坊は温泉旅館へ、さらに現在の温泉ホテルへと変貌・発展していく。

その過程で寺湯は枯れてなくなり
寺そのものも消えてしまった所も多い。
あの巨大な温泉街のある
「熱海」「別府」などにも原点の寺湯の史跡が
残っている。

出湯温泉の場合、今も寺湯が残り
寺を囲むように旅館が点在する。
この形こそ日本の温泉地の原型であり
現在,この形で残っている所は
おそらく出湯温泉だけであろう。

ふるさとに帰ってきたような雰囲気が感じられる。出湯温泉の寺湯(華報寺の共同浴場)は特にいい。
寺湯として現代に残っている事自体、奇跡といえよう。

日本人の頭の中には、どういう温泉地が「癒される」雰囲気なのかがインプットされているので、ここに来ただけで、懐かしい気持ちになれる。これが、我々日本人に一番心地よい温泉地の基本だ。

 草津温泉のように18箇所の外湯と湯畑などと同じように「ホッ」とさせてくれる姿がある。五頭温泉郷の外湯も地元の人が使っているからこそ残ってきた。
 大学では、「温泉文化論」を教えているが、日本人にとっての「温泉」とは、裸になれば人間は誰も同じなので、ただじっと体を湯に浸していられるのが理想。温泉に入って、「心の湯浴み」をしているのだ。体を洗うのは、本来の目的ではなかったはず。

 1998年に列島縦断の温泉入浴をしたときに、なぜ来なかったのかが不思議なくらい素晴らしい所だ。ここへ来れた事は今年一番の感激だ。  これから大切なのは、どうやって今の人たちを惹きつけるかだろう。温泉街を形成する各旅館も、10室前後の客室数なので、これからは丁度よい規模。

 温泉街の雰囲気と比べると、表通りの案内看板は、普通のもので、大変残念。平凡な綺麗な物ではなく、田舎の景色に合うものにしてほしい。

2001年11月 松田先生 出湯温泉来訪
懇談会にてのお話をまとめたものです。文責は弓月 斎藤にあります。

 

 

 

 

更新 2016 9 13